ミュージカル『青い目のサムライ~伊東版~』

ミュージカル『青い目のサムライ~伊東版~』

ウィリアム・アダムス(日本名:三浦按針)を顕彰したお祭り”按針祭”記念事業として開催されました。当日は、台風の影響で大雨となり、終演後に予定されていた、灯籠流しも花火も中止となるというハプニングに見舞われましたが、満席のお客様にお出でいただけて、会場全体が熱い空気に包まれました。

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日時:2006年8月8日  18:30~20:00
場所:伊東市観光会館大ホール(静岡県伊東市)

主催:第60回按針祭執行委員会・伊東市・伊東観光協会

脚本:羽毛田佳明   演出/振付:裕 幸司   作曲:西山淑子
演奏:西山淑子、福地奈津子(エレクトーン)
出演:アダムス/岡戸 淳(バリトン)  伊東ミュージカル劇団

あらすじ
<第1幕>1600年4月19日、嵐のため難破し、豊後の臼杵に漂着したアダムスは、疑いをかけられ、大阪に呼び出されて牢に入れられます。絶望のどん底に落とされたアダムスですが、疑いが晴れることを信じ、望みを捨てずに、これまでの出来事を回想します。お咎めなしとなったアダムスは、家康と接見。家康の考え方に共感し、家康もまたアダムスを信頼して、船を造ることを要望します。
<第2幕>船を造るための下調べのため、伊豆の伊東へやって来たアダムスは、山中で何者かに襲われますが、女(蓮)に助けられ、妙称尼と出会います。そこで耳にした「石切唄」に故郷を想い、妻子を心配しながらも、妙称尼との会話、心の触れ合いに、宗教をも超えた、人の心を感じ「この伊東で船を造ろう」と固く決心するのでした。そして1604年、伊東の村人たちと共に『幸せを運ぶ船』(サン・ブエナ・ヴィンツェーラ号)を完成させました。

ウィリアム・アダムス(日本名:三浦按針)
1564年8月19日生まれ。日本に来日した初めてのイギリス人。
15才から造船所で働きながら、造船技術、数学、天文学、航海術などを学んだ。
1598年6月27日、オランダ船リーフデ号の航海長として東洋探検隊に加わり、ロッテルダム   港を出港。1600年4月19日、嵐のため、豊後の臼杵に漂着する。
家康の信任を受けて、日本橋に住まいを与えられ、幕府の外交顧問として活躍する。
1604年から1605年にかけて、家康の命令で、伊豆の伊東で80トンのイギリス式帆船と 120トンの大型帆船を作った。
喜んだ家康は、相模国三浦逸見村(現、横須賀市)に250石の領地と大小一振の刀を与え、日本名を『三浦按針』とした。
アダムスは、『サムライ』となり、日本女性と結婚。ジョセフとスザンナという2人の子供をもうけた。
長崎の平戸にオランダ商館、イギリス商館を設立するのに尽力するが、家康の死後、活躍の場を失い、失意のうちに、1620年5月16日平戸にて病死。享年57才。
平戸での住まいには、窓に手作りの英国旗を掲げ、最期までイギリス人としての誇りを失わなかったと言う。
映画『将軍』『ラストサムライ』のモデルとも言われている。